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give & take

ドタバタ(ジタバタか…)していたら2022年ももう終わりとなってしまいました。振り返ってみると,今年はとにかく忙しかったなぁ~と思います。でも,それはどちらかと言えばポジティブな意味で…。

キャンパスには普通に学生たちが戻ってきて,授業も対面で行えるようになりました。実験室もフル稼働してますが,これによって感染が生じたようなケースは常時実験室にいる私から見ても見当たらない。きちんと感染対策をしておけば,大ごとにはならずになんとか活動は続けられそうです。もう止まらなくていいというだけで,今年はとてもストレスフリー。

それは地域活動も同じでした。
たとえば,東区の戸坂地域包括支援センターに誘われてはじめたご高齢者のスマホ教室,第7波のピーク時や現在進行中の第8波の中で「さすがにもうヤバいでしょ?」と尋ねても,町内会長さんからは「大丈夫ですよ~。どうぞ学生さん連れておいでください~。」と即答の返信…迷いがないわ~ (^^;)。
そんなこんなで,一度も休まず参加を続けてきました。来年にはさらに新しいことにもチャレンジしようと計画しています。お年寄りと若者が一緒になってこんなこともできるよと,地域の新たな可能性を示したい。


別なところでは,今月,この2年間なかなか開催できていなかった子ども食堂「らくらく広場」も活動再開!
みんなで飲食する食堂部分は控えて,子どもたちの勉強のサポートと,クリスマス会を兼ねたビンゴ大会を開催しました。

会場となったのは,最初にらくらく広場を始めたきつつき共同作業所のキッチン&ミニマート「楽らく」。

子どもたちが集まってきたら,まずは学校の宿題をやります。「一緒に勉強したので今日は宿題が楽しかった~」と子どもたち。

勉強が終わったら,みんなで折り紙に願い事を書いてクリスマスツリーを作りました。

その後はビンゴ大会で盛り上がりました (^^)。

ここに集まったのは子どもだけじゃありません。地域のご高齢者や,障がいをもつ仲間たち,そのサポーターである社福法人の職員さん,こんな集まりをやりたいと考えられている他の地域の方たち,行政の関係者など…。SDGsなんて高尚な概念を持ち出さなくても,地域はそもそも多様性(ダイバーシティ)をもつ。それに気づかずに日常を過ごしている私たちは,それを見る「目」(つまり「心」)をもたないだけなんだろう。「誰一人取り残されない社会」の原点は,まさにこんな身近なところに現実としてあって,それを実現し守るのは私たちひとりひとりなのです。そしてそれはできるかもよ!というのを皆で実感し共有できるのが,このような場所…かけがえのない経験です…心から感謝!


大学がある牛田新町町内会との繋がりも着々と戻って来ています。
今月も町内会のみなさんと一緒に牛田新町小学校1年生の昔遊びの授業に参加させていただきました。吉田ゼミ4年のけん玉チーム?と,こちらも1年生の大学生ひよこ(ボランティア部)です。

技の披露中です↓…みんなドキドキ!…だって子どもたちの視線が熱すぎる (^^;)

その後,学生たちが分担して子どもたちのお相手をします。心理学というと「カウンセリング」以外を思いつかない人が増えてきたように思うけど,共通のテーマをもつと基本的に人は繋がれる。だから,けん玉うまくなりたいと子どもが思うなら,そこに繋がりの糸口がある。これを使わない手はない。「やればできる」こと,「あきらめない」こと,この世界では「努力することは評価される」ことを伝えたい。


私がやっている活動はよく「ボランティア」に例えられるのですが,私は必ずしも無償でやっているわけではなくて,大学が学内で提供する教育サービスではできないことが得られるから,その利を求めて外に出ている。だから実は下心満々…give & take! なのです。

与えるだけだと,どうしても持続的な取り組みにはならない。得るものがあるからこそ続けられる。

特に,現在のコロナ禍の中,対人交流を要素としてもつイベントをリスクなしで行うことはできません。だからこそ,イベントを通してお互いにどのようなメリットが期待されて,実際にそれがどれだけ得られたのかをエビデンスとして示せるよう意識しているし,得られる利益が予想されるリスクを上回るから迷わずにやれるんですね。利益といってもお金じゃないけど…。

お金じゃない価値をどうやったらまわりに説得できるのか,いつも悩むところです…お金でしか物事の価値が表せないし,わかってもらえないのが今の社会なのかなと思う…ちょっと残念…。得られるものが何であるかは参加した学生たちを見ればわかる。ほら,これが得られた成果のエビデンスです!…って,学生をポイっと見せられたらいいなぁ~…とつくづく思う。


give & takeについての質問…「とても大切なものがあったとします。あなたはそれを人にあげますか?」

お金やモノなら,人にあげたら減っちゃうし,なくなっちゃいます。

でも,この世の中には,人にあげても減らないものがある。「愛情」や「感謝」はそんなもののひとつ。「教育」だってそうだ。

人にあげても減らないし,むしろ増えていく,もらった方もまた人にあげたくなる…もらったらうれしいのに,あげた方もうれしい…このような時代だからこそ,私たちはそんな価値が見える目を(心を)もたなければならないように思います。

そしてそんな価値がgive & takeによって人々の間を巡れば,社会は変わるのではないでしょうか。

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2022年度前半…

忙しくしていたら,なんと今年度ももう折り返し地点に来てしまいました。
新型コロナも相変わらず私たちの社会に居座っていますが,前期の授業はすべて対面で支障もなく実施することができ,ようやく夏休みに逃げ込んでほっとしているところです。
みなさんの周りはいかがでしょうか。

3年目の今年,コロナの脅威は最初の2年間よりさらに身近になってきたけど,その脅威に対して押さえるべきポイントはある程度わかってきたように思います。以前からゼミで関わっていた施設での活動はまだしばらくできそうにないですが,とりあえず地域の皆様とご一緒する機会がいくつか戻ってきました。

下は,5月に開催された東区の牛田公民館まつりに,地元の牛田新町民児協のみなさんと一緒にゲームコーナーを開いた様子です。私のゼミでは,いろいろなセンサ技術を応用したゲーム的な課題を作って,人の認知機能の評価や訓練をしようというような研究をやっていますので,ゲームを使って子どもたちを喜ばせるのは得意技。昔はこんなのを毎月どこかでやっていました。コロナ前からゼミ生の顔ぶれは変わったけれども,変わらない吉田ゼミです。

ちなみに,視線センサを使えば,赤ちゃんでもゲームをしたり,赤ちゃんがどのように世界を見ているのかを大人が一緒に共有することができるようになります。そこで,地元の子育てサロンにも参加するようになりました。

一方,下は東区戸坂地区の地域包括支援センターに誘われて参加するようになったお年寄りの集まりです。
ここでやっているのは…スマホ教室!
田舎に行くと,足腰が弱くなってきたお年寄りが電動のシニアカーでお買い物に出かけたりお散歩されている様子が見られます。テクノロジーを使った機能代替ですね。同様に,歳をとるとどうしても認知機能が低下してきます。そのようなとき,電子デバイスによる補助ができないでしょうか。でも,認知機能が低下してきてからスマホの使い方を覚えるのは大変。だから,早いうちから使えるようになっておくのがいいのは間違いありません。そこで,みんなでお年寄りに便利なスマホの使い方を考えながら実践しよう。
お年寄りの知的武装を,地域の中で若者が一緒になって協力して行う。私はこの活動に大きな可能性を感じています。

学生たちとやっている「ひよこ」というボランティアサークルでも,自分たちにできることをやろうと,地域のごみ拾いを企画して行いました。自分にできることを,自分で探して,自らの責任において自主的にやる…ボランティアの基本だね。

地域に出ていくとそこにはいろんな&リアルな課題があります。また,コロナ禍によって,人々をつないでいた絆も大きなダメージを受け,地域が抱える課題も変容してきています。どうすればこの現状を打開できるか。大学も地域の一員として試されているように感じます。

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2021年度 卒業式

3月18日(金),大学のキャンパス内で卒業式(学位記授与式)が行われました。本来ならば広島平和記念公園内の国際会議場で行われる卒業式ですが,今年もコロナ禍の影響を受けて学位記授与式のみを学内で開催することになりました。晴れやかな舞台を用意してあげられなくてちょっと残念ではあったけど,そんなのカンケーなしと思えるくらいいつもの明るく元気で仲の良いゼミ生たちです。

前にも書いたけど,この人たち,コロナ禍の中でも,休暇中でも,何気にいつも実験室にやってきていました。彼らのために特別入構許可の申請を何回書いたことでしょう (^^;)。でも,彼らの姿を見て,これが大学生の本来の姿であって,こういう若者の日常を私たちは守ってあげなければならないと強く考えさせられました。また,もうひとつ前向きでチームワークの良い彼らの姿に学んだことがあって…それは,世の中のすべての職場がこんな風な雰囲気だったら,ずっと働きやすくて,ひとりひとりが能力を発揮できる社会になるんじゃないかということ。

障がいをもつ方たちと作業所をやっている友人に聞いた話があります。一日の仕事が終わって,みんなが帰り際に言う言葉は「じゃぁまた明日!」だそうです。働くことって何なのかを考えさせられるひと言です。

私たちがよく言う「お疲れさまでした」には「仕事=疲れること」という暗黙の意味が含まれているように感じます。「お先に失礼します」にも「つらいことから先に逃げ出すうしろめたさ」が含まるように感じます。働くこととは,疲れること,つらいことなのでしょうか。

自分のゼミ生たちと,今日,この最後の日に,いつものように,「またおいで~」,「はい! また来ま~す!」と別れられることを,ちょっぴりうれしく,またじんわりと誇らしく感じた,この春の卒業の一日でした。

 

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学生の卒論プログラムが書籍に掲載されました

昨年度の吉田ゼミの卒論,「トレイルメイキングテストとモグラたたき課題を用いた注意機能評価」(小谷和泉・若林有菜)で使用した実験課題(モグラたたきゲーム,トレイルメイキングテスト)が,来月朝倉書店から公刊される「手を動かしながら学ぶ 神経心理学」のデジタルコンテンツとして収録されました(帯の画像を見てください!)。

地方私立大学の小さな研究室ではありますが,こうやって学生とやった研究が小さな実を結ぶのはとてもうれしいことです。

ちなみに,この研究は院生(有吉)が引き継いで継続研究中。その成果は来月行われる日本心理学会の大会準備委員会企画シンポジウム「認知リハビリテーションから見る高次脳機能障害の支援の拡大と深化」でも紹介する予定です。

 

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枝豆祭

大学の北に戸坂(へさか)くるめ木という町があって,先週末は学科の2年生を中心に声をかけて,その町内会の「枝豆祭」のお手伝いをしてきました。

毎年,公園に屋台を並べて賑やかに行われている枝豆祭だそうですが,新型コロナ感染症のために昨年は全面的に中止。今年も中止するしかないか…という状況でしたが,地域の絆の維持形成にも重要な役割をもつイベントなので,子どもたちへの枝豆配布会だけでもやりたいとのこと。
感染対策についても真剣に検討していただいた上での地域活動なので,じゃあ,うちからも若いのを出しましょうかということで,万が一の際の責任はよしだが取るわと,私も一緒に参加させていただきました。

集合した後,午前中は町内会のみなさまと一緒に畑仕事…。

試食のために豆を枝から切り離してます。

洗って塩もみして茹でる。学生たちには何もかもが初めてとのことですが,地域の皆様が本当に親切に学生たちに教えてくれます。感謝!


採れたての枝豆がこんなにおいしいものとは知りませんでした (^^)。

午後は町内の子どもたちに枝豆の配布会。若い学生たちが相手をすると子どもたちもとても喜んでくれます。

…というわけで,久々の地域活動を体験しながら,学生たちとは,どのようにすれば都市部の住宅街の住民のつながりを活性化できるのかとか,このような地域行事がどういう意味をもつのか…なんて話しておりました。

活動の場となった集会所には,下の写真にあるように,業務用のコンロや大鍋,外の倉庫にはたくさんのテント,簡易ポンプなどが用意されていました。例年の祭りではこれらを使っていろんな出し物をするのでしょうが,それによって地域の祭りは,災害など非常時におけるテント設営や炊き出しの訓練の機会になっているのです。

祭りを楽しみながら,災害時に備えた訓練をして,その中で,地域住民がお互いの顔を知り,信頼を醸成する。そしてその様子を子どもたちが一緒になって体験する。
大災害が私たちの日常生活と決して無関係とは言えなくなった昨今において,2年連続でやらない選択肢はないと決断された町内会のみなさんの真意がわかったような気がしました。

医療・福祉はもちろんのこと,心理においても地域支援の重要性が言われますが,このようなテーマは教科書で学ぶだけでは実感がわきません。大学から一歩外に出れば,そこには地域社会と人々の暮らしがあるのですから,実際に外に出てフィールドワークとして体験するのが一番です。

コロナ禍の中,不自由はありますが,このような地域とのつながりをこれからも大切にしたいなぁと思っています。

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コロナとの戦い

書きたくなった。ちょっとヤバいかもしれないけど,今の大学生のリアルな日常(吉田ゼミ編)。

かなり長い( ゴミかも…でもマジ…)。


10日,月曜日お昼すぎ,突然,学内放送が鳴った。

ゴールデンウイークの影響か,広島では新型コロナの新規感染者数が急増しており,それに伴う措置として,午後からの授業はすべて休講にするので学生は全員帰れとのこと。
また,翌日から来月1日まで3週間あまりを学生登校禁止期間とし,授業はすべて遠隔授業に移行するらしい。

うちの学科では月曜の午後に3・4年のゼミの授業がある。
連休前にゼミの新3年生が決定したので,この日の午後は合同ゼミを行って,4年生が卒論の研究構想を3年生に向けて発表する予定にしていたけど,それもやむなく中止。

またかぁ…。
昨年もコロナで一度も合同ゼミを行うことはできなかった。下の写真は一昨年のもの。

ゼミでは「縦」のつながりがとても大事なのに,それを作ろうとしてもいつも邪魔される。本当にコロナ…恨めしい。

でも,うすうすこんなことになる気もしていたので,日曜にGoogle Meetでゼミ生全員が参加する会議室を作っていたから,「じゃあ,今日はオンラインミーティングのテストでもしようか」ということになった。
でも,Meetの会議室を開いて4年生がちらほら入り始めても,3年生は遠慮して入って来ない…。

その時,4年生からLINEで「先生,これから大学に来ちゃダメですか?」

「は? そりゃ,当然ダメでしょうよ~! (>o<;)」

でも,就活先に出さなきゃならない成績証明書を今日中に取っとかなきゃなんていう理由も一応あるらしい。そこで学生に向けた大学からの指示メールをよく見たら,「今日は午後休講」,「明日から6/1までは学生登校禁止」とは書いてあるけど,今日が登校禁止とは…うん書いていないね…。

「じゃあ仕方ない,ちょっとだけおいで。」

また,別の学生からLINE…。明日から登校禁止なので,卒論の関係資料を完成させておきたいらしい。まだ学内にいるので,帰る前にどうしても実験室に立ち寄りたいとのこと。

「じゃあ,少しだけ…。」

その後また別の学生がやってきた。他の学生たちが帰る中,「隠れてました~」だって… (^^;)。


うちの大学では,コロナ感染者が一人でも出ると,その場で休講が決まって,学生たちを帰して,感染者から濃厚接触者を聞いて当該学生に連絡し,保健所の指導を受けて学内の消毒作業を行うのです。

学生たちが「やったぁ~! 授業なくなったわ~!」と大喜びしながら帰る中,うちのゼミ生たちはなぜか大学にやってくる。

「アストラムラインの駅,すごい学生ですよ。みんな帰ってるんですね~」なんて,のんきに電話しながら,まるで川の流れを遡る小魚のようにやってくるうちの学生たち…。

川を遡上する魚たちって,なぜ川を上るんでしょうね。川上に何があるのか見たこともないくせに…。上った先にあるのは「楽園」ではなくて,「危険」かもしれないのに…。

気がつけば,実験室にはオンラインで参加している学生と同じくらい学生が集まってしまった。大学から帰れと言われているのに…これはかなりいけませんね…危険。

そのうち,「俺も行きます! 20分で着きます!」なんて,オンライン会議室から消える学生がいたり…この付和雷同ぶり…この人たち,絶対,魚レベルだわ!

そうやって,もう誰もいないキャンパスに4年生たちが集まって,いつの間にかいつものようにゼミが始まった。

50キロ先から駆けつけるなんて言っている学生はさすがに全員・全力で止めて,実験室にいる学生がLINEや電話やメールで自宅にいる学生たちとやりとりしながら,資料を集めてまとめている。


なんか昨年もそうだったなぁ…って思い出しましたよ。

コロナで対面授業が全面停止になっている中,「土日なら交通機関も空いてるし,来てもよくないですかねぇ?」なんて言って,土日や夏休み中にこっそり集まって,実験の準備をしていたなぁ。

これ(魚レベル)は,うちのゼミのDNAかもしれん…。昨年の4年生の姿があなたたちにダブって見えるようになってきたよ…間違いないね。

でも,こんな時間は,私にとっては,とても大切なものでした。

コロナという圧倒的な負の力に支配されている今の世の中で,大学の小さな心理学研究室としてのアイデンティティをかけたレジスタンス。不自由でなかなかうまくいかないけど,本来私たちがやるべきことをやりたい。希望をなくして努力をしなくなったら,たぶんそれが負けを意味すると思うから,とにかく流れに逆らって,あがいて,もがいて,泳ぐ。

とりあえず,3年生たちに見せられるような資料もできたし,もう暗くなってきているので,「そろそろ帰らなきゃよ」,「でも,今帰ってたら,絶対守衛さんに怒られるよね」,「あぁ絶対間違いないよ」なんて言っていたとき,学生たちがロッカーに貼ってるコラージュ写真に昨年の4年生を見つけて,「あ,先輩たちの写真だ~」,「この先輩,なんて名前だったっけ」,「〇〇先輩よ」なんて言いはじめた。

昨年は,3年生の歓迎コンパも,4年生の追いコンも,ゼミ名物のクリスマス会も,何ひとつゼミのイベントはできなかった。それどころか,合同ゼミも一度も開けなかった。なのに,みんな先輩の名前を覚えてるんだね。
うちのゼミは実験をやるゼミなので,昨年,先輩の実験に被験者として参加したときに覚えたそうな。
「コロナ感染が怖いから,実験室では教示など必要なこと以外はしゃべらないように」と言っていたのに,結構おしゃべりしてたのね…キミたち。

卒業した学生たちはもうここにはいないのに,昨年の元気な学生たちが,この子たちの心の中にも宿っているような気がして,うれしかった。


「『命』って何でできていると思う?」

たまに学生にいじわるな質問をすることがある。細胞の活動でできているのかもしれない…。あるいは,魂が存在するのかもしれない…。正解なんてないですよね。

「命って『時間』でできているんじゃないかな?」…私なりの考え。

私自身もちょっとだけやっているけど,障害をもつ子どもたちや難病患者の人たちのためのソフトウェア(プログラム)を開発している仲間たちがいて,それを見て思ったのですよ。

「ソフトウェアって何でできている?」

普通は,どんなモノにも,必ず原材料がある。
でも,ソフトウェアは「情報」であって,本質的には形のないもの。質量さえ存在しない。

じゃぁ,ソフトウェアの材料って何かというと,それは人間がもっている「時間」だ。時間という抽象的な存在を,人は形にすることができる。その形は,物理的には存在していないのだけれど,人間にはそれが見えるんだ。絵が好きな人は,絵を描いて,人に見せるところを想像すればいい。

人生の一部である時間を原材料にして,人の役に立つものが作れるって,なにか素敵だよね…。だって,そうやって作ったものに価値があるってことは,その人の人生に価値があるってことだからね…なんて,格好つけて学生に話したりする。

私たちが研究対象としている「心」もまた,ソフトウェアと同じく形をもたない存在であって,限られた時間の上に成立する「命」によって支えられている。

そうか,わかった。キミたちは,今,この「時間」を求めて,ここに集まってきてるんだね。

「時間の価値がわかる人には,命の価値もわかるはず」…と思う。

コロナ禍は,私たちのゼミから地域のお年寄りや子どもたちとのつながりを奪ったけど,ちょっとしたリスクを負いながらも「今という時間を大切にしている」学生たちの姿を見て,これは人間が人間としての本質を廻って,本来の姿を取り戻すための復権をかけた戦いなのかもしれないと思うようになった。

今の彼らに残された時間はあと10か月,このような時代だからこそ,その時間を大切にしてやりたいと思う。


コロナ禍の中,若者の自殺が増えているという。

「死んではダメ!」と強く思う。なぜならば,せっかくもっている時間がなくなってしまうから。

時間があるなら,流されるのでなく,流れを頬に感じながら,川上を探して泳いでみてはどうでしょうね。

今の社会の水は,あまりにも濁り過ぎてしまった。

だから,大切なものが見えないだけかもしれません。

川上に向かえば,水も澄んでくるでしょう。

その時,人にしか見えない,大切なものが見えてくると思う。

 

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和音

今週,大学の近所に今月開所した社会福祉法人「交響」の新しい事業所「和音」に行ってきました。

交響さんは,障害者・難病患者のICT支援「miyasuku」のメンバーでもあり,戸坂福祉センターでの子ども食堂「らくらく広場」の運営に学生たちが一緒にかかわらせてもらっていて,公認心理師実習でもお世話になっています。

そんな社福法人が大学と同じ町内(東区牛田新町4丁目…まで同じ!)に生活介護事業所を開設したので,これはぜひ教育・研究・社会貢献のリソースとして活用させていただきたい。

大学から直接は見えないのですが,施設を出て道路に出ると,すぐそこに比治山大学が見える!…という超ご近所。大学の正門からは歩いて5分!

施設は3階建てで,3階は自閉スペクトラム症等による専門的支援を必要とする方,2階は医療ケアが必要な重度障害をもつ方に対応した施設になっています。そして,1階は地域コミュニティの場として,町内会活動や緊急時避難スペースとしても使えるように開放的なつくりになっています。

1階はエレベータくらいしかなくて…

奥に大きな部屋があって…

そこは「会議室」なんかじゃなくて「地域交流スペース!」

私のゼミでは,重症医療ケア児者の方たちが視線でコミュニケーションを行うための支援技術を開発していますし,発達障害の方たちの認知機能評価や発達支援プログラムを開発していますから,こんな近所に新しく実践フィールドができたことは大変うれしいことです。しかも,私たちは町内会のみなさんともかれこれ10年近く地元の牛田新町小学校の伝承遊びの授業を共同でやるなど,連携していろいろな活動をさせていただいている関係 (^^)。

社会福祉法人と地域,そして大学が,お互いにもつリソースを提供しあって連携することで,どんなハーモニーを奏でることができるか。さまざまなチャレンジができそうでわくわくします。

 

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卒業おめでとう

比治山大学にうちの学科(社会臨床心理学科)ができてから,ほとんどずっと私が広報を担当していたので,学科のブログに記事を書き続けていたのですが,私も広報担当から外れて,大学ホームページからも学科ブログがなくなってしまいました。でも,せっかくなので,こちらにちょこっと卒業式(学位記授与式)の風景を近況として紹介します。

新型コロナ感染症のため,今年も平和公園(広島国際会議場)での卒業式はなくなり,3月19日(金)に学内で学位記授与式が行われました。

旅立つ若者たちをお祝いするようにキャンパスでは桜の花も咲きはじめています。

学位記授与会場はソーシャルディスタンスを確保した大講義室。

私のゼミは,地域社会の中で,子どもからお年寄り,障害児から難病患者まで,いろんな方たちを相手に心理実験を応用した脳機能評価/リハをやったり,レクリエーションをしたり,さまざまな活動をするのが特徴なのですが,今年度は新型コロナ感染症のため,学生を同行させたゼミ活動は全面停止。ゼミ生たちには本当に物足りない思いをさせてしまったのではないかと思います。

たまに聞く…「心理の人って何か暗いよね」という言葉が嫌なので,心理学の難しい知識はちょっと脇に置いといて(卒論研究は結構難しいテーマをやりますが… ^^;),まずは,(大したことはできないかもしれないけど)地域の中のいろんな場所で,いろんな人々がとにかく笑顔になるような活動をしたいよね…なんて私たちは思っている。その中で実は学べることがたくさんあって,それは大学の講義室での退屈な授業では決して学べない。みんなそれを知っている。それが吉田ゼミ。私たちはリアルワールドを使ってアクティブラーニングを実践している…これってたぶん全国でも貴重な「教育-研究-社会貢献」を三位一体として具現化した実践事例だと自負している。

下は彼らが3年生のときの活動風景の一コマです。

今年度はゼミのやり方が大きく変わってしまって,私自身,ゼミの大切なアイデンティティをなくしてしまったように感じていたこともありましたが,他のゼミの学生さんに「吉田ゼミの人たちって,なんかいつ見ても楽しそうですよね~」と言われて気がつきました。そういえば,これって(褒めてるのかどうかはわかりませんが)毎年耳にする言葉なのです。私が見ても,うちのゼミ生たちって,いつも笑顔で,楽しそうに「仕事」をする。そんなうちの子どもたちの姿の中に,我が家のアイデンティティは脈々と生きているんだということを発見して,本当にうれしく思い,感謝したこの1年間でした。

障害者や難病患者,高齢者の方たちと接していると,不自由があるからこそ見えてくる大切なものがあることに気づかされます。たとえば,人間同士の「絆」がいかに大切なものかを一番知っているのも彼らでしょう。いろいろな方たちとお付き合いする中で,「満ち足りた生活=豊かな人生」とは決して言えないことを学生たちと学びました。

そして今年度,かつてない不自由な年を過ごす中で,私たち自身も自分たちにとってかけがえのない大切なものを見出したように思います。

ご卒業,おめでとう! 心からお祝い申し上げます。

 

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Unity Web GL

心理学教育において,とても重要視されている「心理学実験」ですが,狭い実験室に実験者役の学生と参加者役の学生,インストラクター役の教員,さらには観察学習の他の学生が入り込んで…というのは三密の典型なので,とても現状では行えません。でも,心理実験担当の教員としては,何とかしなければならない。

最近,プログラム開発をc++ & DirectX SDKからUnityに切り替えているのはポータビリティを考えてのことなので,Webで使えるか試してみることにしました。

Web実験用テストページ…https://maruhi.heteml.net/chikakuninchi/?p=1271
(↑心理学実験のオンライン化に伴ってページを移動させました)

ちょっとした実験プログラムなら & PCベースで行うなら,Web上でできそうです。Unityだったらプログラミングも遊び感覚でできるし,ずっと簡単!

卒論生の実験プログラムの開発でも忙しい時期ですが(それよりも毎日の雑用が多すぎる),後期の実験をこれでできないか…検討中…。

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笑顔はとっておこう

コロナ禍の中,「若者=感染源」というイメージが広まってしまい,大学もほとんどの授業を遠隔で行っています。テレビに出てくるような夜の街に遊びに行く若者なんて私の周りには皆無なのに…。

ヒーヒー言いながら慣れない遠隔授業をする中,どうしても後回しになっていたのが「ゼミ」。

うちの学科では3年次から正式にゼミに配属となるのだけれども,吉田ゼミの学生は,障害児の発達支援や高齢者支援など,地域のいろいろなところでの活動に期待して集まった学生たち。今の3年生は,昨年12月にすでにゼミ希望の意思を表明していたので,早速,いろんなところに一緒に出掛けていたのに,正式にゼミ配属となった4月以降は,コロナ禍で学外でのゼミ活動は一切なくなってしまいました。

遠隔でやってはいたけど,やっぱり一度ゼミで集まろうということになって,集中講義で開いた待望のゼミ。実験室は狭くて密になるので,場所は10号館4階のロビーを借りた。

今年は,キャンパス内で学生が勉強をする姿を見ることがさっぱりなくなったのだけど,こうやって学生たちが発表したり,意見を言い合う姿がみられるのは,やっぱりいいですね。可動式のイスやホワイトボードを用意していただいた大学事務のみなさんに感謝です。

 

今年,もうひとつ中止が続いていたのが,高校生を対象とした「オープンキャンパス」。やっと先週末から,小規模に始まった。

比治山大学 社会臨床心理学科のオープンキャンパスといえば,ちょっとした学会の機器展示コーナーよりも派手にやっている心理実験体験コーナーが人気なのですが,それをやっているのがうちのゼミ。毎年,県内外の障害児向けの機器展示会などで研究展示をしているので,子どもがよろこぶ(≒高校生もよろこぶ)仕掛けを作るのは私得意なのですよ(心理実験のスキルを応用して)。

でも,今年は,そんな体験コーナーは三密回避でできないらしい。

そこで,ゼミの発表会後に,学科やゼミのいいところを紹介するものを何か映像作品で作らないかと呼び掛けて,ああでもない,こうでもないといいながら,できたのが下のビデオ。

実験をやるのが吉田ゼミなのだけど,なぜか箱庭を作ってますわ (^^;)。実験って,単に映像にしただけではわかりにくいものね。

 

オープンキャンパスに来てくれた高校生に向けて,10人のゼミ生による顔を見せない「自己紹介」です。

コロナ禍で,お互いが対面することもままならない生活が続く今年の私たちですが,来年は,笑顔で,若者らしく,大学生らしく,一緒にいろんな活動ができたらいいですね。そんな気持ちをこめた。

吉田ゼミの取り柄のゼミ活動ができない今年度,不自由をさせているけど,できることを探してやろう!と呼びかけたら,明るく反応して,みんなで楽しみながら一緒にこんなものを作ってくれるゼミ生たちに,こちらもなにか明るい希望を見出した気持ちになっているこの頃です。