このページは,科学研究費補助金(基盤研究(C),課題番号:22530804,研究代表者:吉田弘司)の研究成果を紹介するものです。

概要(Abstract)

 本研究では,個人の表情識別能力を精密に測定可能な課題を開発した。健常成人において,この課題で測定された表情に対する感受性と視線行動との関連を調べたところ,喜び以外の表情について感受性の高い参加者は,表情を観察するときに目を見る傾向が強いことがわかった。また,高齢者は喜び以外の表情認識に困難を示すが,彼らは目を見る傾向が少ないことがわかった。自閉症スペクトラム障害児においても表情識別の困難が見られたが,成長に従って表情が読み取れるように変わると同時に,目を見るように変化することがわかった。

 In this study, I developed a task that closely examines the individual ability to recognize facial emotions. At first, the task measured the sensitivity of normal adults, and their gaze behaviors when looking at emotional faces were examined. The results showed that the individuals with higher ability to recognize emotions except for happy looked more at the eyes of faces. Secondly, the task showed that aged people showed difficulties in recognizing emotions except for happy. The gaze data showed that they had tendencies to look less at the eyes. Third, the children with autism spectrum disorder showed the difficulty in emotion recognition, but their sensitivity could improve. The gaze data showed that they began to look more at the eyes as they developed.

キーワード: 表情の知覚,表情識別能力,視線行動,高齢者,自閉症スペクトラム障害
Key words: perception of facial expression, ability to recognize facial emotions, gaze behavior, aged people, autism spectrum disorder

研究の背景

 良好な社会関係の構築・維持のためには,相手の意図や気持ちを感じ取る能力が必要です。それは,我々人間にとって,社会生活を営む上で不可欠なソーシャルスキルといえます。日常におけるフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションでは,この意図や気持ちを伝え合うのに,顔表情の果たす役割は少なくありません。

 近年,さまざまな人々を対象に,表情識別能力を調べる研究が行われるようになってきました。その結果,例えば,自閉症の子どもさんたちは,他者の視線回避や社会接触の回避だけでなく,表情認識能力も劣っていることが知られています(Baron-Cohen, Spitz, & Cross, 1993)。また,脳の扁桃体という場所に損傷をもつ患者さんは,笑顔以外の表情,特に恐怖表情がわかりません(Adolphs, Tranel, Hamann, Young, Calder, Phelps, Anderson, Lee, & Damasio, 1999)。統合失調症の患者さんたちも,表情認知に障害をもつといわれます(Dougherty, Bartlett, & Izard, 1974)。アレキシサイミア(失感情)傾向者においても表情認知能力が乏しいことや(Mann, Wise, Trinidad, & Kohanski, 1994),外傷性の脳損傷をもつ患者さんも,社会的行動の障害が認められる事例では表情認識が障害されていることが多いといわれます(Radice-Neumann, Zupan, Babbage, & Willer, 2007)。さらに,特別な障害がなくても,加齢に伴って私たちの表情認識能力は低下することも知られています(Calder, Keane, Manly, Sprengelmeyer, Scott, Nimmo-Smith, & Young, 2003; Phillips, MacLean, & Allen, 2002; Sullivan & Ruffman, 2004)。

 人の表情に関しては,喜び,悲しみ,驚き,怒り,嫌悪,恐怖という6つの表情が,人種や言語,文化に関係なく判断が一致する表情(6基本表情)として知られています(Ekman & Friesen, 1971)。これまでの多くの研究で用いられてきた表情識別課題は,6種の基本情動のひとつを表す表情写真を呈示し,表出されている基本情動が何であるかを対象者に多肢選択させ,正しく分類できるかどうかをみるものが一般的でした。しかし,このような課題では,ひとつの表情あたりの写真の数は少なく,研究対象群対健常群といった群間の成績の比較は可能ですが,特定個人の表情識別能力を詳細に評価することは難しいという問題がありました。

 そこで,私たちの研究グループでは,個人の表情識別能力を,「できた」・「できなかった」ではなく,それぞれの基本表情の識別を「どの程度」できるのかを量的に精密測定する課題を開発しました。この課題は,視力検査で視力を測るのと同様な方法で,6種の基本表情に対する対象者の識別能力を自動測定するものです。

 この課題を用いて高齢者の表情識別能力を大学生と比較したところ,笑顔の表情識別には加齢の影響は見られないのに,驚き・悲しみ・怒り・嫌悪・恐怖の5表情では大きく劣ることがわかりました(熊田・吉田・橋本・澤田・丸石・宮谷,2009,日本心理学会)。また,同じ検査を高次脳機能障害者に行ったところ,顕著な表情識別の障害が認められました(丸石・近藤・橋本・澤田・吉田,2009,日本リハビリテーション医学会;丸石・橋本・吉田,2009,日本高次脳機能障害学会;澤田・橋本・光戸・吉田・丸石,2009,日本神経心理学会)。また,大学生など健常成人においても,表情識別能力には大きな個人差があり,それは共感性や不安傾向,対人恐怖心性などの性格特性とも関連することがわかりました(橋本・吉田・光戸,2009,日本心理学会;吉田・熊田,2010,日本心理学会)。

 今回の研究では,この課題の改良版を使って,一般成人,高齢者,幼児,自閉症スペクトラム障害児を対象に表情識別能力を測定しました。また,表情識別能力の個人差がどのような要因で生じているかの手がかりを得るため,対象者の視線行動の記録・分析することで検討を試みました。

研究の目的

 本研究では,以下の3つの目的にそって研究を行いました。

  1. まず,これまでに開発してきた表情識別課題を修正することで,幼児や自閉症スペクトラム障害児,認知症高齢者などでも実施可能な課題を作成し,彼らの表情識別能力を調べる基礎的研究を行いました。
  2. 次に,一般成人である大学生を対象として,表情識別能力の個人差と表情観察時の視線行動との関連性を検討しました。
  3. さらに,高齢者および自閉症スペクトラム障害児を対象として,表情識別能力を測定するとともに,表情観察時の対象者の視線行動を記録・分析し,高齢者や自閉症スペクトラム障害児が表情認識に困難を示す原因を探る研究を行いました。

研究の方法

 本研究では,まず,図1に示したように,4人の表出者の無表情顔と表情顔をそれぞれ平均化し,その間で任意の割合でモーフィング合成を行うことで,任意の強度の表情顔刺激を自由に作成できるようにしました。

 私が作った表情識別能力の測定課題(コンピュータ・プログラム)は,こうして作成した表情顔刺激を画面に提示し,それが何の表情かを問うことによって,参加者が何%の強度が表出されていれば表情の読み取りが可能であるかを,6基本表情(喜び,悲しみ,驚き,怒り,嫌悪,恐怖)のそれぞれについて自動測定するものです。課題では,コンピュータ画面左側に強度を操作した表情顔刺激が提示され,参加者は,それが何の表情なのかを判断して,画面右側のボタンを押して回答します(図2)。参加者が正答すると,コンピュータは表情の強度を下げることで識別を難しくし,参加者の表情識別の閾値(ぎりぎり識別できるポイント)を探すようにプログラムされています。

図1.表情顔刺激の作成(喜び表情)

図2.表情識別課題(意味的分類)

 図2に示した課題は,表情を表す言語ラベルの意味が理解できない参加者には実施することが困難です。そこで本研究では,図3のように,知覚的に照合して同じ種類の表情を選ばせる課題を作成し,高齢者や幼児,認知症患者や自閉症スペクトラム障害児の表情識別能力を測定することを試みました。


図3.表情識別課題(知覚的照合)

研究成果

 大学生と高齢者に対し,意味的分類と知覚的照合のそれぞれによる表情識別能力を測定した研究(熊田・牧・山口・吉田,2011)では,以下のようなことがらが発見されました(図4)。

 まず,大学生参加者においては,喜び,悲しみ,驚き,怒りの4つの表情において,意味的分類と知覚的照合による感受性にはなんら違いが認められませんでした。このことは,若年成人が,これらの表情について,視覚的な特徴が検出されていれば意味的にも正しく分類できることを示唆しています。それに対して,嫌悪と恐怖の2つの表情では,知覚的照合の方が意味的分類よりも容易であることがわかりました。従来から,これら2つの表情は識別が難しいことが知られていましたが,視覚的な特徴が検出されていても意味的な分類に失敗することが,その一因である可能性が示唆されました。

 高齢者の結果では,嫌悪と恐怖だけでなく,怒り表情においても,意味的分類が知覚的照合よりも困難であることが示されました。怒り表情は高齢者と若者の感受性の差がもっとも大きい表情でしたが,視覚的に特徴が検出されていても,高齢者は意味の抽出に困難をもつことが,その要因のひとつであろうと考えられました。

 本研究の予備研究として先に行われた熊田・吉田・橋本・澤田・丸石・宮谷(2011)において,高齢者は若者に比べ,悲しみ,驚き,怒り,嫌悪,恐怖の5つの表情において加齢効果(加齢による認識の困難)を示すことが知られていましたが,本研究の結果,この加齢による感受性の低下は,意味的分類課題だけでなく,知覚的照合課題でも生じることがわかりました。つまり,加齢による表情に対する感受性の鈍麻は,顔パターンから視覚的特徴を分析する知覚的過程において生じていることが示唆されました。

 また,予備研究と同様に,喜び表情については,識別がもっとも容易であるだけでなく,加齢による鈍麻がみられない点で特殊であることが本研究でも示されました。さらに本研究の結果では,高齢者が,喜び表情に限っては,意味的分類の方が知覚的照合よりもむしろ容易であるという結果を示していました。このことは,高齢者にとって,笑顔が直接的に「喜び」という意味をもつものとして理解されているという点で極めて興味深いものといえましょう。

図4.高齢者と大学生の表情識別閾(値が小さいほど敏感であることを示します)

 知覚的照合であれば知的資源に対する負荷が低いことから,幼児や認知症患者,自閉症スペクトラム障害児などにも適用することが可能と考えられます。そこで,認知症患者の表情識別能力を調べたところ,認知症者は健常高齢者よりも表情識別がさらに難しいものの,笑顔については障害されていないことがわかりました(Maki, Yoshida, Yamaguchi, & Yamaguchi, 2013)。また,就学前の自閉症スペクトラム障害児を同年代の健常幼児と比較したところ,障害児は健常幼児よりも表情識別に困難を示すことがわかりました。さらに,就学前の自閉症スペクトラム障害児を,就学後の同障害児と比較したところ,就学後の障害児は就学前の障害児よりも表情識別能力が高く,健常幼児と同等レベルの識別能力をもっていることがわかりました。このことから,自閉症スペクトラム障害をもつ幼児・児童は,表情識別に困難を示しはするものの,彼らにおいても年齢と共に表情識別能力が発達していくと考えられました。

 次に本研究では,視線記録装置を用いることで,大学生を対象として,表情識別能力の個人差と表情観察時の視線行動との関連性を検討しました。

 実験では,大学生参加者に表情識別能力を測定する課題(意味的分類課題を使用)を実施して,6基本表情に対する感受性を測定した後,課題で用いる表情顔刺激を観察している時の視線行動を記録し(図5),視線が目,鼻,口のそれぞれの領域に停留している時間を測定しました。

図5.視線の分析例(色が暖色になるほど注視傾向が強いことを意味します)

 参加者ごとの,6基本表情に対する表情識別能力と,表情観察時の目,鼻,口への停留時間率との相関分析を行ったところ,喜び表情に対する感受性は視線行動との有意な相関は認められないものの,それ以外の表情(悲しみ,驚き,怒り,嫌悪,恐怖)について,感受性の高い参加者は表情観察時に目に対する注視時間が長いことがわかりました。

 このことから,目に対して注意を向けることが,喜び以外の表情に対する感受性を高めるのだといえましょう。

  一般成人において表情識別能力と視線行動との関連性が示されたことから,表情顔を観察しているときの視線行動を高齢者と大学生で比較する研究を行いました。その結果,高齢者は大学生に比べて,全体的に目を見る時間比率が少なく,口を見る傾向が高いことが示されました。先の研究において,高齢者は大学生に比べて,喜び表情に対する感受性はなんら変わらないが,他の5表情(悲しみ,驚き,怒り,嫌悪,恐怖)に対しては,知覚的な水準において加齢に伴う感受性の低下が見られることがわかりましたが,目を見ない傾向がこのような加齢効果の一因である可能性が示唆されました。

 また,自閉症スペクトラム障害児が表情顔刺激を観察しているときの視線行動を調べたところ,就学後の障害児は,就学前の障害児よりも目を見る傾向が高まっていることがわかりました。つまり,このような視線行動における変化が,自閉症スペクトラム障害児において,表情識別能力を向上させている可能性が示唆されました。

 本研究全体を通して,目を見る行動が喜び以外の表情の識別能力を高めることがわかりました。日常生活における社会適応に困難を示すさまざまな障害や疾患において,表情識別能力の障害が明らかになりつつありますが,本研究の結果は,これらの障害等による表情識別の困難に対して,目を見るような視線行動をとらせることで改善できる可能性があることを示唆しています。このように,感情コミュニケーションに関連した障害に対するリハビリテーションの可能性を示した点が本研究のもっとも大きな成果であろうと考えています。

本研究に関連する研究発表

雑誌論文

学会発表